アーネムランドからの旅立ち
I'm back from Arnhem Land!!!!!!!!!!!!!!!
アボリジニの聖地から帰ってきました。
最高に楽しく、最高にハードで、最高に濃く、つまりマニマック(アボリジニ語で最高)でした。
岡山の田舎で育った僕の常識は、東京に出て少し広がり、海外に出てさらに広がり、アボリジニの村で粉々になりました。(歯磨きをすれば何だそれはと言われ、スープといえばカンガルーの血が出てき、アボリジニに代々伝わる惚れ薬といえば赤く染まった謎の粉を身体に塗りたくられる)
彼らは僕にアボリジニとしての名前とスキンネーム(苗字みたいなもの)を与えてくれ正式な家族として迎え入れてくれました。
そこからは怒涛の親戚周りが始まり、気付けば村人全員親戚でした。
(アボリジニの家族構成はとても複雑でみんな何かしらの関係で繋がっていて、アボリジニ全体で一つの大きな家族になっている)
(彼らも俺たちはone big familyなんだと言っていた)
村での生活は基本のんびりしているがなんやかんやで忙しかった。
川に泳ぎに行ったり、カンガルーを狩りに行ったり、木の実を拾いに行ったり、ディジュリドゥを作ったり、木の実を拾ったり、だいたい木の実を拾って過ごした。
そしてアボリジニの生活の中で最も重要なのが儀式だ。村の至る所で様々な儀式が行われていた。
その中でも一週間続くお葬式は特別だ。僕は踊りと流れを教わり儀式への参加を許された。(この経験はほんとに僕の宝だ)
儀式はディジュリドゥ、唄、踊りどの瞬間を切り取っても極めて美しかった。
アボリジニ文化は地球上で最も古い歴史を持つ現存する文化とされている。
(単に長い時間経ていればいいのかは分からないけど、長い時を通過し研磨され残ったもののみに宿る美しさが全ての伝統的なものには必ずあると思う。)
(新しく美しいものもたくさんあるがそれとは一線を画す言葉で表すなら’深み’としか言いようがない目に見えない何かが宿る。日本の伝統もまた然り)
本来ディジュリドゥはアボリジニの儀式で使われてきたものだ。その儀式の中で初めてディジュリドゥ本来の姿を見た気がした。
(その音は音楽と呼ぶにはあまりに土着的でdeepで、現代音楽として吹く僕らの音とは次元が違う)
(ディジュリドゥを吹かない人は分からと思うが演奏方法も全然違うし音もまるで違う。アボリジニの吹く音こそ本来のディジュリドゥの音と知ってほしい)
そして一番のサプライズは「ディジュリドゥの神様」と呼ばれるジャル・グルウィウィ氏に逢うことができたことだ。(まさか本当に逢えるとは思っていなかった)
僕がいた村からジャングルの中を車で4時間程行った村に彼は住んでいた。
ジャルはドリーミングと呼ばれるアボリジニに代々語り継がれる神話を話してくれた。
そしてジャルは「そこに座りなさい。目を瞑りなさい」と言い僕の胸にディジュリドゥをあて吹き始めた。
(90歳を超えるジャルの音はどのアボリジニの音とも違っていた。優しかった。力強かった。大きかった。その音はまさにジャルという人間そのものを表した音だった)
(正直今やYoutubeでもジャルの音は聴けるが、それとは比べものにならない程リアルな音が目の前にはあった)
(ジャルはこの行為の意味を言葉では説明しなかったが、ジャルという人間、ディジュリドゥ、そして何万年と続いてきたアボリジニの歴史が持つ壮大なパワーをディジュリドゥを通して送られた気がした)
時間にすると1分くらいのことだが、その前後では世界が大きく変わった。
ただ自然は厳しかった。僕らが普段キレイだとか気持ちいいとか言っている自然はある程度人間の手が加わったものだと気付かされた。
本当に手付かずの自然というものは人間に厳しい。美しい。美しいのは確かなのだが気持ちいいとかそういうものではない。いや現代人の僕だからそう感じるだけかもしれないかもしれない(現にアボリジニは全然平気そうだった)
アーネムランドで体験したことはまだ言葉では上手く表せないけど、自分の中で大きく何かが変わりました。
日本に戻れば圧倒的な物質社会、ただその中でも自然に敬意を払い自然と会話し溶け合えるように生きていけたらなと思います。
たぶん人は誰しも一度は太古の人間の暮らしや手付かずの自然の中に身を置く必要があるんじゃないかなと感じました。
『家族紹介』
父 頭が蜂の巣みたいだが釣りは得意なアフロのマーロー
母 体調を崩した時泣いて心配してくれた優しきンガンマ
長男 日本人
次男 何と言っても僕をアーネムランドに導いてくれたディジュリドゥマスタードゥンバル
長女 おしゃれに目がないクールなウェンディ
三男 毎日日の出とともに一日中ジャンプしてるイリヤラ
次女 一番よく遊んだ相手だと思います。会いたいぜマラニィ
(アボリジニは一夫多妻制なので他にも家族はいっぱいいますが直の家族はこれだけ)
『今日のアボ語』
アボリジニはありがとうとごめんなさいという言葉を持たない。
「それは我々は全員家族なんだ。家族同士で何かシェアすることは当たり前だしその言葉は必要ないんだよ」とおじいちゃんが教えてくれました。
PS.もうしばらく海外生活は続きますが、来月久しぶりに日本に帰ります。遊びましょう。
Didgeridoo power Yolngu power Djalu power make uuuuuuuuuup!!!!!!!!!! Manymak